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しくじり先生って俺のこと? 営業成績全校2位から調子に乗って転落人生

まるでゴキブリホイホイ! 生徒獲得のための営業の極意とは?

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私自身が在籍していたのは10年以上前のことですが、当時の営業スタイルを振り返ってみましょう。定期テストが終了し季節講習がはじまるまでの期間。生徒人数を増やす大チャンスです。

 

なぜか?

 

それはテスト結果が悪く入塾や転塾を検討する生徒が多数でるタイミングだからです。 授業開始の5分間。「営業トーク」にあてることがありました。

 

「みんな聞いて!誰か友だちで、塾を「変えたい!」とか「入りたい!」って言っている子、周りにいないかな?もし、そんな友達がいたら先生に紹介してね。「体験授業」に友だち一人つれてきたら、5000円分のクオカード(又はマックカード)をあげるからね!」

 

あれ、ひきましたか?10年以上前、実際やっていた方法です(今はだいぶ形をかえているでしょう)。 こんなんで、生徒来るの?という疑問をお持ちの方もいらっしゃると思いますが、来ちゃったんです。

 

「生徒をモノでつる」という行為は、倫理的に決してほめられません。でも、当時はそれが当たり前、やって当然というふうに自分の中に刷り込まれていました。

 

現在の私が「モノ」で生徒をつる営業をできるかどうか? 多分ムリでしょう。出来ないと思います。授業は情熱をもって行う。

 

イベントを盛り上げる。全力で生徒たちと向き合う。「人間的な魅力」のある講師がそろっていたからこそ、成りたった営業スタイルだったと今は思います。 通ってくれる生徒たちを「徹底的に楽しませる」精神があったからこそ、こんな営業をおこなっても生徒数をガンガン増やしていくことができたのかもしれません。

 

今回は・・・ちょっと・・・自分の黒歴史をお伝えしました。 近隣にはたくさん学習塾があり、熾烈なシェア争いがありました。保護者面談に力を注いだ結果、近隣中学のPTAの会長さんなど「スピーカー」と呼ばれる口コミ力の高い保護者を味方につけ、体験希望者は殺到しました。

 

面談では、お子さんと保護者の方のお話を細部まで傾聴。とにかく力になりたい!という姿勢を見せました。そして、兄弟姉妹、友人知人のご紹介もあわせてお願いしました。 夏期講習では営業目標達成率、全校2位(全100スクール)になり、全体の会議で表彰されました。

 

まさに、我が世の春でした。結果がともなうようになると、先輩方がエリアの垣根をこえて、応援してくれました。 コワモテ、体育会系の男気あふれるブロック長3人が、深夜のポスティングで横浜の街をいっしょにかけめぐってくれたことは良い思い出です。

 

見た目は怖いが、人間味のある温かい人がこの会社には多かったと思います。 生徒数が150人に達したころ、自分の目が行き届かなくなり、校舎の風紀が乱れたことがありました。

 

まだまだ、新米室長で、自分のことで精いっぱい。一緒に仕事をしていたスタッフの成長をバックアップ、サポートすることから目を背けていました. 自分が「営業」で結果を出せばいいんだろう、という驕りがあったかもしれません。

 

スタッフをごはんに誘っても、彼らの「不安」や「困っていること」に耳を傾ける余裕を持ち合わせていませんでした。そんな時、スタッフが1名、2名と辞めていきました。自分のような、まだまだ未熟な人間のことを

 

この人はスゲーんだ~、この人についていけば、俺は大丈夫なんだ~

 

お酒を飲んで悪酔いしたときに、駅のホームでこう叫んでくれた若いスタッフの苦労も知らずに、忙しさにかまけて精神面でフォローできなかったことは今でも悔やまれます。彼がいなくなって反省しました。

 

自分が校舎で「目立つ」よりも、ふだんは目立たずスタッフの成長に目をむけて、一人ひとりが教室や生徒の問題点を素早く察知し、これをとりまとめて改善をしていく「裏方」的な存在になるほうが、校舎のためになると考え始めました。

 

そんな折、アルバイトの大型補強がありました。有名私立大学のW大生とK大生が加入しました。二人は激しいライバル心を燃やし、アルバイト講師でありながら、巡回監査で高評価を得て、スター講師として認定されました。

 

中学生からの人気は絶大で、生徒数も200人に到達しました。あっという間の出来事でした。このまま、教室は順風満帆にいくかとおもった矢先の室長3年目、エアーポケットにはまってしまうのでした。

 

大粒の涙がポロリ・・尊敬する上司の退職・・そして、まさかの燃え尽き症候群

 

エリア長が「退職」の意向を私に伝えてきたのは、校舎運営が順調に進んでいた室長三年目の夏のことでした。授業後、カウンターで横に並んで牛丼を食べていたときに、その告白がありました。

 

これまで、自分のいたらない部分を陰でフォローし、深夜でも横浜のはずれまで車をとばし、困っている点、悩んでいる点に耳を傾けてくれる、そんなエリア長への信頼は絶大なものでした。

 

公立中学の教師になり陸上部の顧問になりたい・・・ まっすぐこちらの目を見て「」を語ってくれました。この先生なら生徒も幸せだろうなあ、素直にそう思えました。大学時代は陸上部に所属し、駅伝選手だったようです。

 

「勢い」だけでつっぱしる私。たびたびしでかす「ミス」にも目をつぶり、「長所」にだけ目をむけて「成長」を促してくれた神対応。感謝してもしきれない思いでいっぱいでした。

 

新規開校して生徒数0人から200人になるまで共にしてきた「苦労」「喜び」を思い出し、思わず涙がこぼれそうでした。

 

エリア長の好きな言葉は「鉄の意志」。好きなテレビドラマは「スクールウオーズ」。ご存知ですか?古いですね。彼はそのドラマに出てくる主人公の泣き虫ラグビー部顧問、滝沢健司のように、「熱血」を絵にかいたような人でした。

 

やる、といったら本当にやる人でした。闘志をメラメラと外に出すタイプではないのですが、どんな厳しい営業目標でも、静かに・冷静に・少しづつ前に進み、鉄の意志で目標をクリアしていく方でした。

 

困っている教師・スクールがあったら応援に駆け付け、深夜でも身を粉にして働く姿は本当に頭が下がる思いでした。この人がいなければ、私は「室長」としての業務は務まらず、早々に挫折していたかもしれません。

 

生徒数は200名を超え、新たに短大を卒業したばかりの女性事務さん、本部より人材育成課の授業のスペシャリスト2人の応援。この時は、まさに充実した教室運営になりました。

 

しかし、エリア長の抜けた後の私は「燃え尽き症候群」に近い状態になっていたことをここに告白します。 私にとっての「やりがい」とは営業の成績をあげることでも、会社に表彰されることでもなかった、ということがこの時点で気づきました。

 

ただ一点、尊敬できる人間に「認めてもらいたい」という欲求が自分を動かしていたことに気づきました。 会計事務所、税理士事務所時代に、仕事ができなくて退職勧告を2回うけ、「疎外感」しか感じなかった私は、どこかで誰かに認めてもらいたかったのかもしれません。

 

誰かの力になりたい!そう思っても自分の力不足で、結果に結びつかない生徒も少なくありませんでした。無力でもそばにいて、応援する!こちらの姿勢が、生徒の力を引き出すこともありました。

 

それを教えてくれたのがエリア長でした。生徒も講師も決して見捨てない。そんな姿をいつも見ていたので、彼の決断に異を唱えることはできませんでした。 エリア長が退職した半年後、大好きだったこの大手学習塾を私も去ることになりました。

 

追記:ちなみにインターネットでエゴサーチ的なことをしたら、このエリア長、見事に○○県〇〇市の公立中学の陸上部の顧問になり、大会で優秀な成績をおさめていました。さすが「鉄の意志」。見事に夢を叶えていましたよ。やっぱりスゴイ人でした。

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